出題形式自体に独自の特徴を持った大学もあります。その代表格が、慶応義塾大学文学部の英語です。ここでは、過去十数年間以上、超といえるほど、長い英文が一題のみ出題され、これについて多角的に問を設けてきます。単純な文法、語法問題など一切出題されず、ただひたすら、英文読解力と記述力を問います。さらに、題材となる英文は、長いだけでなく、内容的に難解なものも多いのです。これだけかたくなにスタイルを保ち続けている学部は他に見られません。それゆえ、こちらを第一志望にするなら、その傾向に万全を期すべく、特別な対策が必要となりましょう。特殊な構文を見抜く力をつけたり、語彙力を強化したり、パラグラフ・リーディングの手法を身につけたりするのは初歩的な準備として、それに加えて日本語の表現力も磨いていく必要があります。さらに、英語で文章を書く人々の文化的背景を探ることなども、理解を深める助けとなまた、辞書を持ち込むことが可能ですので、持ち込む辞書の性質を熟知し、すばやく辞書をひく手順なども、事前に工夫しておく必要があります。
学校批判の情報は、その塾に来ている子どもだちから得たものが多く、直接、塾経営者やその関係者が事実確認をしたというものではない。子どもたちは、学校で嫌なことがあれば、大人に大げさに話すのが常であることを知らなくてはならない。かなり感情的主観的な情報をうのみにして学校批判をする大人(塾講師も含め)がいるが、これでは問題の本質を見失ってしまう恐れがある。学校批判をヒステリックにするのではなく、客観的なデータを基にして学校教育を改革するための提言を行うという気持ちでなければ、いつまでたっても学校と塾との対立関係は解消しないであろう。一方的に相手を批判するのではなく、お互いの立場を尊重し、共同で教育問題に取りくむという姿勢が大切であることは言うまでもない。このような観点から、同じ教育という営みを行っている塾関係者が、安易に学校批判(批判というよりも非郊に近い場合が多い)をすべきではない、というのが私の立場である。
優秀な子のノートの取り方は、といえば、先生の話は聞き漏らすことなく、板書を書き写すのは無論のこと、重要な論点を含む授業の内容を「何が何として何とやら」という形で、短い文章に書き留めています。単語ではなく、短文にして書き留めるところがポイントです。この方法ならキーワードだけを書き留めるのと違って、あとで読み返しても、授業の流れや内容を容易に思い返すことができます。文章での記述と単語での記述。大した違いはないように思えますが、実態は、ノートの取り方一つで成績は大きく上下しているのです。素早く、読みやすい文章をサッと書ける人は、出題に素早く反応し、正確な記述ができて、答案の再点検もできています。日ごろのノートの取り方が受験にも重要な役割を果たす。受験生には、そのことを再認識してほしいのです。